フォレスタ Vol.4 [芸術家] 中西 三郎さん(前編)

今回、中西 三郎(なかにし さぶろう)さんの「輝き」についてお話をお聞きしました。サブロウさんは御年85才(T15.8.17)であられ、カクシャクとして笑顔をたたえてお話をされる印象は、太陽のようで、経て来られたであろう苦労など、微塵も感じさせない常に前向きなお話をうかがいました。サブロウさんは鉄工所、不動産業を営みながら釣り、絵、旅、書道、民謡、俳句など様々な文芸を嗜まれ培ってこられました。

ご自宅に訪問させて頂き、応接室にてサブロウさんと紹介人である友人の石田氏と面談しました。そこには数々の大切にしておられる作品に関するエピソードなどを交えた、ご自身のいわば『人生岐路』と銘打った取材を行いました。

自宅の応接室は腕の良い大工さんに工事をまかせたとのこと。自宅は築90年。改修を行って30年ほどだそうだが、しっかりとした施工。和の雰囲気が芸術臭さをより際立たせます。
それでは順を追って飾られている作品を紹介していこう。

守友

よろしくお願いします!
玄関から2階のこの応接室までも大変な作品数が飾られていて驚きました。

(作品は)思うがままに作っただけだから大したもんじゃないよ。
数はもっとあるんだが、人にあげてしまったり飾りきれなかったりだよ。

一つ一つがポジティブで人生訓となるものばかり。毎朝読むと元気になれそう。
有田市長からの表彰状(産業部門)、有田市同友会(感謝状)、紀州有田商工会議所(感謝状)、日本商工会(感謝状) 和歌山宅建(感謝状)など数々の功績をたたえる表彰状を拝見する。なんと写真も表彰状とのこと!
守友

作品の多様さにも驚かされますが、一つ一つを単に思いつきで描いたというのではなく、歴史というか、何か繋がりがあってどれも時代の奥深さが感じられますね。

そう要って貰えるとうれしいね。人生その時、その瞬間を思い出しながら作っているんよ。よっしゃ、これを見せてあげよう。

戸棚から出していただいた漆器箱に入っていたのはサブロウさんの『人生岐路』でした。
日記というレベルではなく、人生の軌跡を各年代毎に分けて冊子にされていました。内容の厚さというか、手作りでこのボリュームとは心底驚くばかり。


『自叙伝』(抜粋)
「小学生時代、海で2度死ぬ」父親は、釣りの名人であり一緒に船で海釣りへ1度目は、沖へ出たときに波の荒い浜辺に近づき転覆。2度目は、打たせ船に乗り上げられ転覆。

「高校時代」和歌山工業に入学、難関を突破するがエリート集団で苦労する。在学中に蓄膿症になり、卒業までに完治し嗅覚が発達した。
「社会人」大日電線に就職する(本社は尼崎)軍事工場で働くが、労働環境や公害がひどくて半年経っても帰らしてもらえなかった。課長に相談するも変わらず、勝手に帰ることを決意し帰るが勿論、会社には自分の席はなく半月待てども仕事はなく座るだけで我慢し過ごされるなどまさに波乱万丈!大日電線在席中は、軽音楽団や監視事務所をつくるなど5年間の在席中に精力的に動かれたとのこと。

しかし、またも命を脅かすことが起こる、「結核を患い入院」絶対安静が必要で安静大盡といわれるが見事!1年で完治し病気を乗り越えられる。その裏には友人たちの鼓舞があったそうだ。その後は釣りが趣味で2~3年は夢中になる。その後、親戚が鉄工所を営んでいたのを任されることになるが自らはやる気もなく困っていたところへ職人の知り合いが鉄工所の工場を貸してほしいとの申し出が舞い込み、貸す事となる。しかし経営が難しく結局、会社再建(経営)を頼まれ妻が事務を行い、サブロウ氏は経営で手腕を振るうこととなる。(当時の)岡崎議員の御世話で県発注の仕事を委託されるようになり、経営も順調に再建される。時間に余裕が出てきた頃、酒をこよなく愛している内にふとした宴席で転機が訪れるサブロウ氏36歳。人付き合いが良かったので友人から不動産の相談までも受けることとなり、後に「日の出不動産の設立」に繋がる。


守友

半生をお聞かせていただいて本当に波瀾万丈というか、普通の30台半ばでは遭遇しえない事が多いですね。

結果だけを見れば色々したように見えるだろうが、わしは、自分で考えたことはなくてな。何もかも流れにまかせただけやよ。

「自分で考えたのではなく、流れにまかせただけ」

それなりに事業は順調であった日の出不動産と同じくして日本はバブル景気に沸き始めた。バブル期は、土地を売買して得られる売買益。資産バブルによって引き起こされるハイリスク・ハイリターンを求められ、日の出不動産の業績はバブルとともに登り調子となるが、同時に一抹の不安を感じるようになる。

「自分の力以上のことができるようになれば、原点に戻れ」と叔父の言葉を思い出す。

自分は何もしてない、周りが自分をここまで導いてくれたんだと真に思い、世間では更なる一攫千金を目指す好景気の中、無理な商いをせず、自分の流れに任せて10年余りかけ、不動産の売却を行うことに成功。

気づけばバブル崩壊・・・。

「一升枡は一升枡や」

器を越える水は受け止められない。溢れる水を受け止めてこれたのも周りのお陰、と自らの指針を決める。

一歩間違えれば借金王になっていた己を救ったのは、叔父が残してくれた言葉であり、経験者だからこそ言える説得力のある論である。

その後、新たに「ニュー日の出不動産」として再出発。
そして70才、ニュー日の出不動産、中西鉄工所を卒業。

無事に商いを終わる事が出来たから「卒業」なんだ、とサブロウさんは笑顔で言う。

守友

人生は一枚の紙、心に響きます。この軌跡図を見るとサブロウさんの歩まれてきた人生は多くの人との交流でお互いに支え合ってきたというのが分かりますね。

そう、一升枡(いっしょうます)は一升枡や。人の器は決まっている。その小さな器を周りが支えてくれることによって器以上の事ができるんや。だから支えてくれる仲間こそが人生の宝、自分に真似できない仲間の存在が宝。人間ムキになったらあかん、お互いを認め合い価値を分かち合うことで自分が引き上げられるんや。そしてその出会いを作るのは自分や周りの徳が重要や。あんたらに出会えたのも石田さんの徳でもあり、ワシの徳であり、あんたらの徳でもあるんや。

守友

恐れ入ります。この活動を始めてからの事を思い出しても、本当に出会いの連鎖というか、サブロウさんの言われる徳というものの大切さ、凄さを実感しています。
今回は作品だけでなく、人生のイロハについても大変勉強になりました。本当にありがとうございます!


仕事にも遊びにも一切手を抜かなかった中西さんが言った、趣味を通して出会った自分の友人との出会い「徳」について。

自分が病床で弱り切っている時に「そんな病気に負けるな」と自らも手術後にも関わらず大きな傷口を見せ、何度も困難を乗り越える気力を与えてくれた友人との「つながり」。

そして自分に真似のできない仲間の存在が宝、「人間ムキになってはいけない」。お互いを認め合い、価値観を分かち合うことで、自分が引き上げられている。

これは現代社会を生きる僕たちに足りないものなのかもしれい。

「つながりとは、目に見えないものである」つながりを考える私たちが、お互いを認め合い、生きてきたお年寄りに学ぶべきことではないでしょうか。

そして、我々が案内された先にはっ!!・・・後編(Vol.5)につづく

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